新見庄学習(5・6年生) 6月27日(金)
京都の東寺(教王護国寺)に伝えられてきた百合文書。
中世の人々様子が分かる貴重な資料であることから国宝に認定されています。
その百合文書の中に東寺の荘園であった「新見庄」に関する文書も保存されています。
「新見庄」は、現在の西方や上市から新郷にまたがる広大な地域です。
「新見庄」に関する文書の中には、一般庶民の女性の手紙も残されています。
身分制度があった時代に、地方の女性の手紙が残っていること自体が奇跡的なことです。
新見市内の児童生徒は、新見市と東寺の関りについて「新見庄」をとおして、必ず学びます。
草間台小学校では、B年度に5・6年生が歴史学習をします。
今年は、「新見庄」について学ぶ年です。
事前学習を終えた子ども達は、新見市内に残されている新見庄に関わる史跡等の見学に行きました。
講師は、新見公民館 西岡館長さんです。
西岡館長さんは、元西方小学校の校長先生でした。
西方は、まさに新見庄の史跡が残る場所です。
最初に、新見駅に行きました。
新見駅前には、「たまがき」や「祐清」の像と、「祐清」の死をいたみ東寺に「祐清」の遺品の形見分けを申し出た「たまがき」の書状『たまがき書状』の写しが石碑として展示されています。新見市を訪れる人々を、これらが出迎えているのです。
西岡館長さんから、「たまがきや「祐清」にまつわるお話や『たまがき書状』について教えていただきました。
つぎに新見美術館に行きました。
新見美術館は、「祐清」が成敗した名主の豊岡屋敷の跡地に建っています。
新見美術館 藤井館長さんからも新見庄について教えていただきました。
みなさんご存じですか?
新見美術館の展示スペースには、新見庄のジオラマがあることを。
まだご覧になったことのない方は、ぜひ新見美術館に行ってご覧になってください。
次に、西方にある江原八幡神社に行きました。
その後、善成寺に行きました。
善成寺の阿弥陀如来像は平安時代末期の作とされ、「祐清」の葬儀を「たまがき」と共に見送ったとされています。
最後に、上市の地頭方政所跡に行きました。
歴史の教科書でも習いましたよね。「守護」「地頭」の「地頭」です。
地頭とは、中央から派遣されたち地方行政官のことをさします。
上市に地頭が政務を行った政所(役所)があったのです。
子ども達は、見学をとおして、自分たちが住む新見市は、古くから人々が住み着き、生活を営んでいたこと、中央と地方の関係を学ぶことができました。
今回学んだことは、まとめて、学びを深めていきます。
9月末には修学旅行で京都を訪れ、東寺(教王護国寺)を参拝します。
今から修学旅行が楽しみです。
蛇足ですが、高梁市川上町には「地頭」という地名があります。
日本各地に「地頭」という地名が残っているかもしれません。
調べてみると面白いかも。